76年に中心メンバーだったテッド・テンプルマン抜きで再結成されたアルバム。もう一人の中心メンバーのディック・スコパートンによって再度メンバーが集められた。大物プロデューサと化そうとしていたテッド・テンプルマンは急がしすぎて参加が無理だったとか、なんとか。出したレーベルは、無名のインディレーベルのフォレスト・ベイ・レコードとのことで、そういうのは、大人の事情なのかその辺はよくわからない。テッドのいない分なのかメンバー全体の年のせいか、どことなくコーラスに若さがない印象を受けます。
そうはいっても、内容は大丈夫。これまでのハーパース・ビザールをばっちり踏襲した感じです。解散後も曲作りを続けていたスコパートンが、もう一度、ハーパースの名でアルバムを作りたくなったというのが発端らしく、きらめくあのアレンジャー達の名前はもうクレジットにありませんが、完全に延長戦上にありました。メジャーを意識しないぶんこのアルバムは、スコアートンがやりたいことをやったということなんでしょう。
オープニングは、「カリフォルニア」という映画のワンシーンを切り抜い「Introduction」からはじまります。こういう今から、お話が始まりますよーという寓話性がハーパースの売りの一つ、6年ぶりでも、いきなりらしさが見えて、にんまりできます。続いて、ディック・スコパトーンのオリジナル曲の「Cowboy」が来ます。蒸気機関車がゆっくり近づいてくるような、時代錯誤感がたまりません。
映画カサブランカで有名な「As Time Goes by」は面白いアレンジ。個人的には反射的に、「君の瞳に乾杯」のセリフとボギーの空港でのラストシーンが自動的に出てきますが、このアルバムでは浮遊感のある軽妙なアレンジで素晴らしい出来です。特にエンディングのハーモニーが好きで何度でもいけます。この曲は元々はブロードウェイのミュージカル用だったらしいです。よい仕事をしたアレンジャーのレイ・ケラーは、ハーパースのツアーメンバーです。
だいたいここで、満足して停止ボタンを押しそうになりますが、次の「Down At Papa joe’s」これが中々の広い物で、聴いていると俄然うきうきしています。ディキシー・ジャズ風の演奏ですね。この曲で使っている、がやがやした音通称「ガヤ音」はポータブルレコーダーを持って地元の酒場に音をとりにいったそうです。そういうのってちょっと楽しい感じですね。こういうエピソードを聴くと、スコパートンの頭の中には既に音像ができあがっていたんだろうなと想像できます。続くポール・マッカートニーの「Everynight」では初のシンセサイザーの登場です。サイケな感じは、そんなにうまくいっているとは思わないけれど、メンバーが使い慣れない機材と格闘しているのが目に浮かびます。
いわゆるB面1曲目の「Speak low」。この曲で一つ謎が解けたのは、ハーパースって初期は6人編成だと思っていたこと。当初はエディー・ジェームスというメンバーがいたらしく、「フィーリング・グルービー」リリース後に脱退していたそうだ。このエディの写真をどこかで見たことがあったので、ずっと不思議に思っていたのですが、これで謎が解けたしだい。「Speak low」はこのエディがギターで参加しています。このアルバムのベストトラックを「As time goes by」と争う出来栄えです。スコパートンが惚れ込んだ曲なんだとか。
「My melancholy baby」はスタンダード曲。50年代頃のジャズマンがよくやっているのを聴きます。一緒に「トゥル・トゥル」いいましょう。それから水玉模様のワンピースなんかを思い起こしそうな「beechwood 4-5789」、そしてドヴォルザークの新世界を背景に詩のロバート・フロストの詩の朗読が入ります。アメリカ独立200周年にささげられています。
最後は、馬の背にまたがって夕日を歩きさっていく、ウエスタンのイメージと共に、陽気に、ひょうひょうとハーパース・ビザールは去っていきます。この「バック・イン・ザ・サドル・アゲイン」で終わりです。このCDにはボーナストラックは入っていません。
看板のテッド・テンプルマンはおらず、レーベルも知らないところに移動と、パスしがちな1枚ですが、曲作りはあいかわらず面白いので聴かないと損です。
ちなみに、裸の姉ちゃんが、カウボーイのかっこしたエロジャケット、脱力抜群のキャッチコピーのCDが、当初出回りましたが、ちゃんとオリジナルのジャケットで発売されています。確かにパイレーツの姿をしたり、ガンマンのコスプレをしているような4人組よりは、裸の姉ちゃんの方に目がいくとはいえ・・・これはちょっとね。